中島先生便り
第15回 食道癌

第15回は、食道癌です。
実は私は、食道癌の術者になったことは1度もなく、この点からいうと、私が食道切除再建について云々する資格はないのです。

一般外科は、食道・胃・大腸など “くだ” の外科と肝・胆道・膵など “実質臓器” の外科に大別されるため、後者のグループに属していた私は、“くだ” の専門家ではありません。ただし、胃や大腸は、基本中の基本であるため、外科医は誰でもこのパートを経験して上手になっていきます。

しかし、同じ “くだ” でも食道だけは非常に特殊な領域で、肝臓外科とは離れています。したがって私は、今まで1度も術者を努めたことがないのです。術者を経験していないのですが、食道癌患者の主治医として、手術の助手をつとめ、術前術後のジェットコースターのような管理を担当したことは、山ほどあります。食道切除再建の周術期管理を責任をもって担当することは、真の意味で外科医を育てます。

そこには、術後管理のすべてがつまっていて、まさに “るつぼ” です。昼も夜もありません。「ああ人間の体のしくみは、こういう風になっているんだなあ。」ということが、理屈でなく体でわかります。何故熱が出るんだろう?何故脈が早くなったのか?どうしておしっこの量が少ないんだろう?どうして腹が張ってきたのか?何故血液中酸素濃度が上がらないんだろう?そういう基本的で重要な事柄をじっくり考えさせてくれます。

2日間ほど、ほぼ一睡もせず、それでも患者のbed sideにすわりこんで、じっと心電図モニターをみつめながら、上記のようなことを考え、点滴内容を調整してみたり、人工呼吸器の設定をかえてみたり、胸腹部を聴診してみたり、足の甲を押してみて浮腫がないか調べたり、とにかくああでもない、こうでもないと思いをめぐらせるのです。膀胱に留置したくだからおしっこがポタリポタリと落ちるのをあきもせずながめます。おしっこの色、出るスピード、そういうことに一喜一憂して、心の中で「しめた!」と思ったり「やっぱりだめかあ。」と嘆いたりしています。

そうこうしているうちに、これはどうしてだろうという疑問点が湧いてきて、通りがかりの麻酔科の先生や内科の先生に尋ねます。今考えると結構唐突でぶしつけな質問なのですが、こちらは髪の毛ボウボウ、ヒゲボウボウ、一目で徹夜とわかる脂ぎった顔つきに、相手の先生も笑って答えてくれます。こうして疑問点が氷解したときの嬉しさといったら飛び上がる程です。

しかし、中には、こちらのぶしつけな質問に冷たい一瞥をくれて、役人の国会答弁のようなコメントを残し、立ち去る先生もいます。そういう先生は、だいたい偉くなります。食道切除再建の術後管理は、患者の呼吸・循環管理の勉強になるだけではなく、この業界に住む人々の “人間を観る” 上でも良い勉強になりました。

手術が長く、術前術後もいろいろと大変なことが多い食道癌は、患者+主治医が2人3脚でマラソンに挑むというような、体力勝負の大仕事です。

今回は、

      1. 食道癌の症状
      2. 食道の解剖学
      3. 食道切除
      4. 食道再建
      5. 食道切除再建の術前術後管理

について、悲喜こもごものお話をしたいと思います。

1.食道癌の症状

たべたものが飲み込みにくく、なにかひっかかったような感じがするとか、ものを飲みこんだときに胸のまん中あたりにしみるような感じがあるとか、そういうことは、どの本にも書いてあるし、まったくその通りです。

70歳をすぎた焼酎好きのおじいちゃんにこういう症状があれば、食道癌の可能性が高いです。しかし、そういう症状が出ない食道癌もあります。無症状の食道癌とは要するに、まだあまり進行していない食道癌です。癌が大きなかたまりになっていないので通過障害がありません。

酒好きの55歳男性が腹痛で入院しました。膵仮性のう胞という病気です。この人に偶然食道癌をみつけました。まだあまり進行しておらず、のみこみにくいというような症状はありませんでした。酒をのみすぎるのは、食道癌の risk factor のようです。従って食道癌の患者は、案外肝機能がわるかったり、膵機能がわるくて糖尿があったり・・・こういうパターンは結構多いです。

口腔〜のど〜食道〜胃袋というのは、一蓮托生のものなのでしょう。口腔・のど・胃袋に癌ができて、うまく切除され治癒したあとに、今度は食道に癌ができたというパターンも多いです。このような方々は、もともとの手術をうけた病院で術後外来に通っていますから、食道癌が無症状のまま発見されることがわりとあります。

65歳男性、咽頭癌・胃癌をたてつづけに切除されたあと、今度は食道癌が発見された方を受け持ったことがありますが、この方にも飲みにくいというような症状はありませんでした。以上、無症状の食道癌が発見されるのは、酒がらみの肝・膵障害、口腔〜のど〜胃袋の癌切除後などの状況下に病院に通っているという場合が多いです。

無症状ということは、進行していない訳ですから、内視鏡による切除で治ることもあります。ガバッと切られずに済むのですからこんないいことはありません。ただし、食道癌全体からみれば、こんな症例は少ないです。

2.食道の解剖学

食べたものは、のどの左側から食道に入り、食道は弓矢の弓のようにググッと右側にカーブして、下の方ではまた左側に戻って、横隔膜という薄い筋肉を貫通して、上腹部の左奥の方で胃袋につながっていきます。

食道というのは、ただ単に食べ物の通り道であり、他の臓器のように小難しい働きをしている訳ではありません。単なる通り道の管です。ただし、通っている場所が悪過ぎる。胸の奥の方の縦隔というところを下っています。上から順にいくと、甲状腺、声を出すための神経、鎖骨下動静脈、気管、痰を出すための神経、胸部大動脈、上大動脈、気管支動脈、奇静脈、右下肺静脈など油断ならない構造物の中を下っていきます。

“食道=単なる管=ウナギの寝床に寝そべっているウナギ” を掘り出さなければならない訳ですが、このウナギが、もし胸骨のすぐうしろ=縦隔の浅いところを下っているとしたら・・・食道の手術はずい分楽になったことでしょう。

人間の体には、理不尽な構造をしているところが何ヶ所かあります。虫垂なんか無ければよいのに。胆のうなんか無ければよいのに。大腸は1/3の長さで充分なのに。食道はもっと浅い所を通っていればよいのに。胆汁と膵液がわざわざ合流して十二指腸に出ていくことはないのに。十二指腸は後腹膜の奥の方のトンネルを通らずにもっと浅いところをシンプルに通ればよいのに。肛門周囲の神経分布が密じゃなければいいのに。まだまだ沢山あります。内蔵の外科をやっていて、よくこういうことを考えています。

3.食道切除

一般的な食道癌の手術は、食道の切除および再建という2つの工程から成っています。まずは食道の切除です。前述のように食道は、胸の奥の方を弓状に右に張り出しながら下っていくので、まず右開胸です。あおむけの患者に麻酔をかけて右を上に向けるように側臥位とします。第7肋間あたりで大きく開胸、肋骨を1〜2本折って大きく拡げます。右肺をよけると奥の方の寝床にウナギが寝ています。縦隔肋膜を切開して、ウナギ=食道の前面を横切っている奇静脈を処理すると、食道様のお出ましです。患者が昔、肺炎や結核をやって、肺が癒着していると最悪で、食道様のお出ましまでに3時間を要したことがあります。

ウナギにテープをかけて、ひっぱり上げながら、尾側は右下肺静脈、頭側は気管支動脈・迷走神経・反回神経に気をくばりながら、ウナギを起こしていきます。癌が胸部大動脈に食いついていると大変で、ウナギがなかなか起きてこない。なんとか起こして、ウナギの頭側端をホッチキスのような器械で切離、尾側端は横隔膜直上で切離しますが、この切離端によって術野が汚染しないようにコンドームをかぶせます。

このときばかりは、厳しい雰囲気が一瞬和らぎます。研修医の頃、コンドームを買いに行かされたことがありますが、食道の手術になんでコンドームなのか理解できず、「ゼリー付きの方がいいですか?」と術者に尋ねて笑われました。

4.食道再建

切除が終わればサッサと閉胸して、患者をあおむけにします。朝から始まった手術が、この体位変換の頃には、昼過ぎになっています。術衣を一旦脱ぎ、胸ポケットにしのばせた100円玉を握りしめて、術場ラウンジ=休憩室へかけこみ、自販機でジュースを買って一気に飲み干し、手術室へ戻ります。開腹し、胃袋をブラブラにして、不要な部分を切って捨て、細く長い胃管=食道の代用物を作成します。この胃管の血流が良好に保たれていることが最も大切なことです。

胸骨の裏側にスペースを作って、このスペースを通して胃管を持ち上げ、頚部左の創にひっぱり出します。自動吻合器を用いて頚部食道下端と胃管上端とを吻合します。自動吻合器のレバーを引いて吻合部にホッチキス針が入る瞬間を “ファイヤー” と呼びますが、ファイヤーの時には、皆心の中で拍手(かしわで)を打っています。 “どうかleak=吻合部の漏れが起こりませんように・・・。”

63歳女性、食道癌。食道切除、胃管による胸骨後ルート再建を行いました。火曜日に手術して、水・木と比較的安定していたが、金曜日夜から高熱が出始め、土曜日朝、左頚部の創が赤く腫れている。leak だろうなと思って、創を開放してみると、leak どころか挙上した胃管が黒く変色している。胃管の血流が悪くなって腐りかけているのです。

午後からは年に一度の医局旅行。皆楽しみにしている。私もかくし芸の準備をしている・・・。その頃、医者になって6年目の私の判断は、・・・胃管の壊死を術者に知らせる、ただし血圧や脈は比較的安定しており、敗血症のような全身的病態には至っていないので、医局旅行には予定通り行きましょう、帰ってきてすぐ再手術=reope しましょう、というものでした。

6年目の若造の判断など術者は歯牙にもかけなかったでしょうが、結論はその通りになりました。この患者さんの主治医として「必ず彼女を元気で帰そう。」と思っていましたが、連日連夜の仕事仕事で、酒でも飲まないと、頭がどうにかなりそうだったのです。土曜の夜は、旅館で宴会、しこたま飲んで騒いで日曜夕方帰ってきてすぐに手術。胸骨を電動ノコギリで縦に開くと、見事に腐った胃管が目の前にとび出してきました。これをとりのぞいて、この手術はこれでおわり。1ヵ月後、患者が元気になってから、右結腸を用いて食道再建をやり直しました。あれから15年近く経った現在、彼女は元気です。

この話は、外科のアバウトさ、不真面目さをアピールするようであまり書きたくなかったのですが、まだ30歳前の私には、元気と自信が満ち満ちており、「これで必ずうまくいく!」という確信がありました。今思えば過信もいいところで、汗顔の至りです。しかしあの時、気まじめな gentleman の術者がもう1日待とうと判断したのは、私の場合と違って、医局旅行に行きたかったからではないと思います。全身の病態から見てそれでよい、むしろその方がよいと判断したのでしょう。1日待つことで今見えている問題点以外の何かが露わになる可能性があると考えたのでしょう。こういう判断が外科医には大切です。

今日やるか、明日でよいのか、明日の方がよいのか・・・、再手術や緊急手術の際には、いつもこの判断を迫られて悩みます。

食道再建に用いる臓器としては、胃・小腸・大腸があります。胃で胃管をつくって持ち上げることが、最も多いです。術前にバリウムをのませて食道癌の診断をしますが、このとき “胃の大きさ” を見ます。大きくて長い胃袋を持った患者さんでは、充分な長さの良い胃管を作ることができるので、主治医としては、大船に乗ったような気分になります。

小腸や大腸を使うこともありますが、消化管吻合の数が多くなるし、時には小腸血流保持のため頚部で動脈・静脈の吻合をしなければならないことがあり、顕微鏡手術となります。手術時間が長くなるので、主治医としては、できれば胃管が良いです。

大きな肝癌の切除を終えて、疲れはてた状態で病棟に帰ってくると、看護婦さんが「先生、Esophagusの新患入ってますよ〜。」 esophagus とは食道のこと。“ああまた食道か、疲れるなあ”とか思いながら、bedsideに行って診察。上腹部に手術創があるのでギョッとして患者に尋ねると「ああ、これは5年前に早期胃癌で胃の下2/3を切ったんですよ。」とケロッと答えてくる。このときの私の気持ち、ここまで読んできた皆さんには、わかりますよね。

胃が使えないとなると小腸か大腸です。ただでさえ大変な食道の手術がますます大変になる・・・と思った途端、bedsideにすわりこんでしまいました。しかしです。胃を切ったあとなので患者はやせ型、よけいな脂肪がついてない、手術がやりやすい・・・と思い直して自分をふるい立たせます。患者には笑顔であいさつしながら、外科医はこういうことを考えているのです。

食道再建のルートには、胸骨前、胸骨後、後縦隔と3種類あります。再建臓器を持ち上げるルートをどうするかという話です。3種のルートには、一長一短があり一概にどれが良いということは言えませんが、一般に胸骨後ルートが多いようです。私は個人的には後縦隔ルートが好きです。少々短い胃管でも充分間に合う “近いルート” だからです。

5.食道切除再建の術前術後管理

他の癌と比べて食道癌の患者は、5〜10歳高齢なので心肺機能が劣っており、食べられないから栄養状態もわるく、このような人相手に頚胸腹の3領域にまたがる大手術を行うわけですから、術後はたいへんです。数日間は眠らせたまま人工呼吸器につないで、集中治療室で監視します。この間、主治医は不眠不休です。

研修医1年目の頃、集中治療室がなかったため、食道の患者が手術室から direct に一般病棟へ帰っていました。これはとんでもないことであり、誰も相談する相手がおらず、それこそ連夜の泊り込み状態で、試行錯誤の連続でした。

食道の術後だけをみているわけではなく、肝切除後の肝不全、PD後の膵液leak、食道胃静脈瘤破裂による吐血、大腸癌穿孔による腹膜炎、胆石による急性化膿性胆管炎、先天性胆道閉鎖の赤ん坊、たくさんの重症患者をかかえていました。研修医1年目は私1人でした。1週間のうち1日か2日、アパートに帰っていたでしょうか、睡眠時間は平均2〜3時間、ちょっとあいた時間に軽く眠る、すぐに起こされる、そういう眠り方をしていました。よく病気にならなかったと思います。気が張っていたのでしょう。

そのような生活を続けていた私へ先輩が貴重なアドバイスをくれました。「中島くん、睡眠時間がとれないのは仕方ない。しかし、飯をたくさん食え、それと毎日風呂だけは必ず入れ。」病院のすぐ前にあるラーメン屋から毎晩2〜3品出前をとり、院内の霊安室の横にある職員用浴室に必ず入り、寝るのは医局のソファー。ソファーが先輩に占領されている時は、医局の床に新聞紙をひいて、寝たこともあります。労働基準局から見れば、目の玉がとび出るような仕事の仕方ですが、このような環境下に食道癌手術の管理を担当したことは、今思えば本当に幸せなことでした。

研修医2年間が終わり、3年目からやっと ICU・・・のようなもの・・・ができ、食道の管理もだんだん楽になっていきました。長年の know-how がだんだんと積み重なり、ああこれは、このパターン、あれは、あのパターンというように合併症の見通しがつくようになったのです。人も増えました。私が10年目を越えた頃は、かなり安定して “ああ食道か・・・切ってつなげばいいんだな・・・” というような感覚になってきました。

high risk の患者に対して、頚胸腹3領域にまたがる大手術を行なって、呼吸と循環を管理し、合併症をよけながら見通し良く、快復のコースをかけ抜けていく、これが食道の醍醐味であり、合併症の芽をいち早く、かぎ分ける嗅覚のようなものが身に付きます。これは、胃や大腸や乳腺の手術からは決して得られることのないジュエリーと言っても良いでしょう。もちろん、うまくいかないことも多かった。

67歳男性、食道癌。切除再建がおわって2週間経過し、めずらしくたいした合併症もなくうまくいって、目を離しかけていた時、胸のレントゲン写真の右下肺野にほんの小さな影が写っているのを私は気にかけていました。まあまあ患者は元気だし、この問題点は触れずにそっとしておこう、あまり検査しすぎてもヤブヘビだと思いました。

その日から患者は高熱を出し、3日後にはレントゲン写真はまっ白け、ひどい肺炎です。抗生物質が全く効かない。結論から言います。カリニ肺炎。今でこそAIDSに合併する肺炎として有名ですが、18年前の当時、全く見たこともない肺炎で、診断に手間どった揚句に、今度は薬が手に入らない。やっと薬をとりよせて使い始めたけれど手遅れで亡くなってしまいました。

70歳男性、食道癌。心室性期外収縮という不整脈持ち。手術そのものはうまくいったのに、術後はこの不整脈が頻発し、大変苦労しました。不整脈をおさえるくすりの量がだんだん増え、今度はこのくすりの副作用に悩まされる始末。キシロカインという薬をポンプで持続点滴しなければならなくなり、量が増えていきました。

そんなある日、患者がぶつぶつ言いながら落ちつきなく、キョロキョロしはじめ、タオルや下着をたたんではほどき、看護婦さんを呼んで、帰る帰るとさわぐのです。キシロカインをやめるとピッタリ落ちつきましたが、今度は不整脈が頻発、このくり返し。キシロカインの副作用による軽い興奮状態なのですが、外科医の私にとっては、大変珍しく、印象に残る現象でした。循環器内科の先生に相談しながら、なんとか退院にもっていきましたが、数ヵ月後、自宅で突然死しました。不整脈による突然死であったと思われます。

患者と2人3脚で術後急性期をのりこえてきたのに、やっと落ちついたと思ったところで、妙な肺炎や不整脈に足元をすくわれ、食道は「ゲタをはくまでわからない」 「決して手綱をゆるめてはいけない」と強く思いました。

食道の管理は、体力勝負。患者もそうでしょうが、主治医も体力勝負。
朝から始まった食道切除再建がいろんなトラブルで夜遅くおわり、帰室した患者を人工呼吸器につなぐ、家族に説明する、紹介して頂いた開業医に手術結果の手紙をかく、看護婦さんに指示を出す、手術記事を書く・・・このへんでヨルの12時を回ります・・・摘出した標本からリンパ節をはずして、食道癌プロトコールという書類を書く、標本をきれいにのばして押しピンで止めて写真を撮る、スケッチをする・・・午前3時を回り、さすがに眠くなる・・・その場でウトウトして5時頃、病棟からのTELで目を覚ます。病棟へ行って患者を診て帰ってくると、コルク板に止めていた押しピンがはずれて、のばしていたはずの食道の標本が、キューンと短くちぢこまっている・・・早朝6時、標本室にさしこむ朝日をあびながら、短くちぢこまった食道をながめていると、「なんでこんなもののために俺はこんなに苦労しているんだろう・・・。」というトホホな気持ちになります。一服して缶コーヒーをのんだら、もうアサ7時。病棟の仕事が山ほど待っています。

食道は、重くつらい思い出が多いですが、苦労した分 “人間の体のしくみ” を理解することができました。あれから10年経過しており、今現在の食道は、格段に進歩していることでしょう。切除例の5年生存率30〜40%であり、闘病中の方々には、「希望をもって立ち向かっていただきたい。」 そう願うばかりです。

次回第16回は、少し毛色の変わった話をします。

H16.10.2 中島 公洋


HomeページTOPへ
酒井病院 Sakai Hospital