第14回は、乳癌です。
癌は英語で
cancer キャンサーといいますが、cancer とはもともとカニのこと。その昔、乳房に悪いできものができて進行し、自壊したその外観が、“乳房にカニがとまっているように”見えたことから、癌のことを
cancer と呼ぶようになったという話があります。
癌命名の源となった乳癌が他の癌と最も異なるのは、触ればわかる見ればわかるという診断の容易さにあります。このため切除例の成績は、他の癌を大きく引き離して良好であり、5年生存率90%をこえています。
研究者が癌組織を入手することが、他の癌に比べて容易であるため、癌研究が進んでおり、新しい論文が次々と出るし、それに伴って新しいくすりがどんどん出ています。早期発見のため、行政が検診を積極的にやっているし、手術は他の癌に比べて驚くほど簡単、再発癌に対するくすりもズラリと揃っている。医療者の方からみれば、ヒトもカネもモノも潤沢にあつまった領域であって、“うらやましいなあ”というのが実感です。
取り組みやすく
happy end に終わる確率の高い癌、それが乳癌です。このような癌は、我々一般外科医が取り扱う癌の中では一種独特の別格のものという感じがあります。
ここ10年近く、肝臓癌ばかり切ってきた私ですが、乳癌もかなり切りました。大半はうまくいって再発もなくお元気ですが、いろいろと珍しい経験もあったので、そのことを話しましょう。
29歳女性。4歳と1歳の男の子がいます。下の子を産んで母乳で育てていましたが、左の乳房にしこりができて、あっという間に大きくなり痛むのでかかりつけの婦人科の先生に診てもらったところ、授乳期によくある乳腺炎と診断され、数ヶ月間、抗生剤をのんだり、冷やしたりしていたそうです。ところが全然良くならない。さすがに婦人科の先生もおかしいと思ったのでしょう。調べてみると乳癌とわかり、あわてて紹介してきました。乳癌局所は非常に進行しており、肝転移がバラバラありました。
昔から乳癌には、5つの特殊型があるといわれます。
(1)授乳期乳癌・・・・授乳中に発生する乳癌で、女性ホルモンが多い環境で発育するので進行が早い。私が経験したのは、この1例だけです。
(2)男性乳癌・・・・男性にも稀ながら乳癌があります。私は2例経験しました。2例ともお元気です。
(3)Paget 乳癌・・・・乳首にできる皮膚癌で、厳密に言えば乳癌ではありません。私は1例経験しました。お元気です。
(4)両側乳癌・・・・左右の乳癌です。1例経験しました。左右とも切除してお元気です。
(5)occult 乳癌・・・・オカルトといっても“恐い乳癌”という意味ではなく、“潜在性のかくれた乳癌”の意です。脇のリンパ節が腫れていて乳癌の転移であることは明らかなのに、かんじんの原発乳癌がさわっても検査してもどこにあるのかわからない、というある意味気色わるい乳癌です。1例経験しました。脇のリンパ節郭清+同じ側の乳房を切除して、その切除標本をさぐり、原発巣を発見できました。この方もお元気です。
以上のような特殊な乳癌が各々1%ずつ存在すると言われています。
さて、29歳、授乳期乳癌の症例ですが、まず抗癌剤治療を行ない、原発乳癌を切除した後、開腹し、左右の卵巣を取り、肝動脈に管をうめこんで、肝臓に直接抗癌剤を流しました。一旦効いて元気になりましたが、1年半で亡くなりました。
まだ若いので最後まで意識があり、亡くなる時、お父さんが上の子を、私が下の子をだっこして、患者さんの左右の手を握らせました。この時のことを思い出すと今でも
sentimental になってしまいます。私がだっこした下の子はまだ2歳で、いったい何が起こっているのか理解できず、それでも「ママ・・・、マンマ・・・」と呼んでいました。お母さんもそれをみて、微笑みながら、息をひきとりました。
喉の奥に熱いものがこみ上げます。若い人や子供が病気で亡くなっていくのは、医者の方も本当につらいです。
47歳女性、進行乳癌。癌も大きいし、脇のリンパ節にもゴリゴリ転移していました。乳房を切除し、小胸筋を切除、大胸筋は残し、脇〜鎖骨部のリンパ節を徹底的に郭清しました。長胸神経・胸背神経を傷付けると、髪を整えたり、帯を結んだりする動きができなくなるので、温存するのですが、癌転移をきたしたリンパ節が、これらの神経にからみついていて、よっぽど神経を切ってやろうかと思いました。以前あまりひどいリンパ節転移に対して、神経を犠牲にしながら切除したことがあったからです。
しかし本症例に対しては、時間をかけて丹念にリンパ節だけを郭清し、神経を残しました。患者さんには「うまくいきましたよ」と笑顔で言いながら、再発は必発と覚悟して、抗癌剤治療を追加し退院です。
外来でみていると、術後一旦下がった腫瘍マーカーが、半年もするとジワジワ上がってきました。レントゲンとCTで両肺の多発転移が発見されました。さすがに患者本人には言えません。夫と長男に告げました。泣かれました。患者さんの夫は、神主さんで非常に心の広い立派な方で、私も心の底から「この家族のためになんとかしたい。」と思いました。
当然抗癌剤治療をやるのですが、そのやり方についてそれまで私が大学の先輩や上司から習ったやり方、あるいは学会や厚生労働省がみとめた一般的なやり方を捨ててしまおうと決意しました。そのようなやり方で効いたことが一度もなかったからです。告白しますが、そこらへんの普通の本屋さんに置いてある週刊誌に掲載されているアウトロー医者のエッセイを参考にして、この乳癌肺転移患者の抗癌剤治療にあたったのです。
ところがこれが大当たりだったのです。入院させることもなく、外来で副作用もなく半年間ほどやったでしょうか。腫瘍マーカーは完全に陰転化し、肺の影もウソみたいに消えてしまいました。さて、その後が問題です。このようによく効いたその後に、癌がウワッと拡がって亡くなってしまうことがよくあるのです。幸いこの患者さんは、うまくいき、あれから6年ピンピンしています。彼女は肺転移があったことを知りません。毎日、家事と趣味に忙しいのだそうです。
夫「先生の最初の話とは、だいぶちがってすっかり元気です(笑)。」 私「どうしてこうなったのか私にもわかりませんが、御夫婦の力が大きかったのでしょう。」 もちろん、このような症例は稀で、私が担当した多数の乳癌抗癌剤治療は、失敗の連続でした。失敗というのは、“治すことができなかった”の意です。患者は皆、単なる延命でなく “治癒”
を望んでいます。たとえマグレでも、このような症例に出会うことができた私は幸運でした。
70歳女性、乳癌。乳癌では有名な某大病院で今はやりの“乳房温存手術”を受け、その半年後、その手術を受けた局所に癌が再発して、その手術を受けた病院へは行かず、私の外来へ流れてきました。この方は、既に肺や骨にも転移していて、数ヶ月で亡くなってしまいました。
60歳女性、全く同じ経過で私の外来へ偶然流れてきた方ですが、この患者さんは、局所に再発した癌を切除して、抗癌剤治療を追加、うまくいきました。あれから4年、元気にしています。
今は猫も杓子も乳房温存、はたまた乳房内視鏡手術・・・傷が小さく見た目が美しい・・・。今はそういう時代であり、そういうニーズですが、本当にそれでよいのでしょうか。乳房を温存しつつ、乳癌を切除された患者が、肺や骨に転移再発してしまったcaseは、百歩譲って仕方ないですが、切除した局所に癌が再発してしまうなど1例たりともあってはならないことだと思います。
55歳女性、小さな乳癌。たいしたことはありません。15年以上昔の話で、私は医者になって5年目くらい。パッと手術をして、パッと退院しました。よく太った人で、肝胆道系の数字が少し高かったのですが、脂肪肝だろうと簡単に考えていました。半年後、彼女は黄疸で再入院。切除不能の進行した肝内胆管癌でした。すぐに亡くなりました。
乳癌手術で入院した半年前、どうでもよい小さな乳癌に目を奪われ、大切な肝胆道系の詳細な検査を怠った私は、医者失格で、彼女や家族の方々に、言い訳がましく詫びた思い出があります。ところが「一生懸命やってくれた先生に不足を言うつもりは全くなく、感謝しております」という主旨のことを言われ、涙が出そうになりました。
手術の腕だけを恃み不遜になろうとする私をこのような人々が、まともな方向へ導いてくれているのだなと思います。
私の個人的な経験ばかりお話してきたので、辟易している方もいるでしょう。ここから乳癌の診断と治療についてのウラ話をします。今からお話することは、業界のウラのそのまたウラ話なので、読んでビックリし、腹を立てる方もあるでしょうが、本当のことなので仕方ありません。
(1)乳癌検診は皆、嫌がる。
皆とは、検診にやってくる地域の女性の方々のことではなく、検診を担当する、いや、させられる医者のことです。何月何日どこどこで検診をするので、貴病院外科の先生を1人派遣して下さいという、強制的な依頼が毎月くるので、忙しい中誰かが行かなければなりません。
行かされるのは決まって研修医、さもなければ研究中の大学院生クラス。皆でおしつけ合ってジャンケンで負けた奴が、泣く泣く行かされるという風景もよくあります。結構なアルバイト料をくれるのに皆が嫌がる理由はただひとつ。その仕事に意味がないと肌で感じているからです。
私も研修医の頃よく行かされました。その検診で発見した乳癌症例がわざわざ私のいる病院に入院し、私が執刀させてもらったのは感激でしたが、乳癌検診だけは好きになれませんでした。私が発見しなくても、もう少し大きくなってから自分で気付き、近くの先生に切ってもらっても同じ結果であったろうということが、充分予想されるからです。
(2)乳癌を専門にするということは、半分精神科をやるようなものである。
乳癌の分野では高名なある先生が、その著書の中で概嘆していました。若い頃、師事していた教授から「君は乳癌をやってくれませんか」と言われて、目の前がまっ暗になったと。この気持ち、外科医ならウンウンとよくわかります。
外科医は皆
Black Jack を夢見てその門をくぐり、脳外科や心臓外科、あるいは肝臓外科のような危険で困難な仕事をやりたがるという習性をもっています。誤解を恐れずに言えば“乳癌の手術にはそのようなドキドキ感が皆無”なのです。
このように手技的には取り組みやすい乳癌なのですが、ドッコイ、実は、超大変な仕事なのです。なんといっても外来が疲れる。中年女性を相手にするには、独特の感性と優しさが必要です。休みの日に家に電話がかかってくるなんてこともあります。いったいどうやって電話番号を調べたのでしょうか。
以前私が担当した50歳女性、乳癌 Stage
I =径20mmでリンパ節転移なし、の話ですが、切除して数回外来で診たあと、「100%良くなりました。あなたは乳癌で死ぬことはありません、もう来なくてよいです。」と言い放ったところ、突然泣き出されて困ったことがあります。「先生に見放された。」と言うのです。膵癌や肝癌のむつかしい手術をかかえ、そのことしか頭にない私にとって、外来でのこのような失態は、本当にこたえます。
その頃の私には、乳癌患者を診る資格がなかったと思います。もっと自らの体と心に余裕があるときに診るべき癌、それが乳癌だと思いました。
乳癌を専門にやっている外科の先生は、みんな優しく mild で気が長い。私には、なかなかできない芸当です。それから上述の泣き出した50歳女性ですが、癌の再発もなく、お元気で、今は優しい循環器内科の先生が診ています。
(3)乳腺の良性腫瘍も結構アゴが疲れる。
乳房にしこりができる病気は、乳癌だけではなく、乳腺症・線維線腫をはじめとして、いろいろあり、しこりはないけど乳頭から出血する、乳管内乳頭腫、はては中年になったのに乳汁が出てくるなんていうのもあります。この乳汁が出てくるのは、乳腺の病気でなく、ホルモンの病気です。要するに乳房の病気は、乳癌以外にもいろいろとあるということです。
触診・レントゲン・超音波で、そのしこりが癌なのか、そうではないのかほぼわかりますが、“癌であることを確定診断するため” あるいは “癌ではないと明確に否定するため”
細胞をとって調べます。針で取るやり方と切開してしこりそのものをとってきて調べるやり方があります。この段階になると説明にエネルギーが要るようになります。私はこれが苦手でした。
手術は好きなので、頼まれればいくらでもやるし、しかもキッチリいい仕事をする自信はあるのですが、悲劇のヒロインになり切っている wet な中年女性をなだめすかして正しい治療方針へ導いていくことは、骨の折れる仕事です。しゃべりすぎてアゴが疲れます。インフォームドコンセントの声がかまびすしい昨今、アゴが疲れるなどと言うと、患者団体から怒られそうで恐いですが、外科医は結構みんなそう思っています。
「癌なんだぞ、もっとまじめにやれ!」というおしかりに対しては、「申し訳ありません。」と頭を下げるだけです。ただし、表面的な誠実さと、仕事の結果との間には、往々にして
discrepancy=解離がある。それが世の中の現実である、ということも御理解下さい。
つまり、外科は “結果がすべて” ということです。いくらがんばって治療にあたっても運わるく結果が伴わない場合、その仕事はゼロです。それが外科の悲しい現実であり、厳しさです。
(1)(2)(3)ともに、乳癌で苦しんでおられる方々からみれば、眼の玉がとび出しそうになる話であったと思うし、そのような方々を悲しませたかもしれません。でもよく考えてみて下さい。旨いラーメン屋の亭主は、愛想がわるいでしょう?ラーメンの技術を追求するあまりそうなってしまったのです。外科医も同じ。口ベタでちょっと変わってて、たまにがんばって優しくしようとする、そういう外科医の方が手術は上手だし、見通しも正しいのです。愛想が良く、口数が多くて、やたら説明してくれる外科医なんで気色悪くないですか?
今回はかなり筆がすべってしまいました。
次回第15回は、もう少しまじめに食道癌の話をしましょう。
H16.9.2 中島 公洋
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